【マシュマロの法則】
実際には、こんな 『実験』 と 『調査』 は、大変むずかしいであろう。しかし、寓話としてはおもしろい。
マシュマロを食べなかった子供は成功し、マシュマロを食べた子供は成功しなかったということは、
人生で成功するには、我慢が大切だということを言っている。
たしかに、青少年の時代は、勉強をして将来に備える時間である。
その間は「我慢」が必要である。しかもその時間が極めて長い。
小学校から大学まで、12年もかかる。この時期は、その我慢の時期であろう。
少なくとも、将来への準備期間であることは間違いない。
刹那的に、今の楽しみだけに生きていれば、準備は何もできない。
「マシュマロの法則」と「1万時間の法則」
マシュマロの法則というおもしろい法則があることを聞いた。
『マシュマロをあげるけれど、すぐに食べてはいけない、食べずに何分か待ったら
マシュマロをもう一個あげるよ』 と子どもに話し、反応を見る実験だ。
マシュマロをすぐに食べてしまう子どももいれば、がまんして食べない子もいる。
その子ども達を二つのグループに分けて、何十年か後に再び調査してみた。、
マシュマロを我慢していたグループは、マシュマロをすぐに食べた子どものグループに比べて、
あらゆる面(仕事、収入、人間関係、家族関係)で、はるかに上手く行っていたというのだ。
みなさんの子ども時代を思い出してみてください。
数学を【解くこと】と【教えること】の違い
しっかり理解させようと思う気力
最終的にはこの〝やる気〟というやつが講師にも必要な要素となります。
「この生徒の数学を、絶対に克服させよう!」という気持ちが、『生徒を真剣に見つめ把握すること』 や 『教え方の研究』 などにつながります。
大学生の単なる学生アルバイトでやる気や責任感もなく形だけ教えている講師では、
数学の克服の手助けは難しいと思います。
数学の問題が解けるということと、教えることができることは違う理由をまとめました。
いろいろな科目がある中で、特に数学は苦手な生徒が多い科目です。
数学を克服したい皆さん、良い講師を探し、頑張って数学を克服してください。
数学を【解くこと】と【教えること】の違い
生徒の理解度・習熟度の把握力簡単すぎる問題の説明に時間をかけるのは無駄です。
難しすぎる問題を過度に教えることは時間の浪費です。
生徒の理解度や、習熟度に合っているかいないかを判別する感性が求められます。
正解に至る道を、瞬時に掴めないレベルの内容の問題は、時によりスルーすべきです。
思考方法を考え、異なるアプローチを演習させても、思うような効率は上がりません。
一人ひとりに合った、理解すべきレベルの選択をしてあげること。
講師にとって重要な役割は、選択し、集中すべきかどうかを、判断できる能力です。
目の前にいる生徒の鉛筆の音が、止まった理由を推測することが大切です。
かみ砕いて分かりやすく説明する力
数学が苦手な生徒に説明するとき、内容に応じてかみ砕いて説明する必要があります。
教科書の例題を真似るだけでは、生徒は理解してくれません。それができないから数学が苦手です。
分かりやすく具体的でかみ砕いた説明が必要となります。
個別指導塾を探して、お越しいただいたということは、何らかの 『願い』 がこもっているのだと思います。
「一人一人に応じて…」 ということは、言うは易し・行うは難し!
数学を【解くこと】と【教えること】の違い
数学の問題を、『解くことができるということ』と『教えることができる』ということでは必要とされる理解度と、知識量が絶対的に違います。
・数学を教えるために必要な力
・教える内容の完全な理解・その問題の難易度を把握できる力
・生徒の理解度・習熟度の把握力
・かみ砕いて分かりやすく説明する力
・しっかり理解させようと思う気力
▼教える内容の完全な理解「きちんと理解できていなければ解くこともできないのでは?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、
案外そうでもありません。
解くだけであれば、完全に理解できていなくてもやり方を覚えているだけでもできます。説明となるとそうはいきません。自分が完全に理解できていないものを他人にうまく伝えることができるはずがありませんから。
▼その問題の難易度を把握できる力…例えば基本ができていない生徒に東大の入試問題を教えても理解できるはずがありませんね。
数学を克服しようと思ったら、習熟度に応じて必要な問題のレベルというものがあります。ですから、講師が問題のレベルを間違えてしまえば、決して要領よく数学の力を伸ばすことはできないでしょう。
以下、続く♪