「なぜ学校で数学・理科を勉強するのか」
科学を学ばせないと、その知識に触れる機会もなくなってしまうので、理系に進む人もほとんどいなくなってしまいます。自分から勉強して知識を習得しようとする人はごく僅かでしょう。
工業系産業を支える「誰か」を見つけたいから、学校で全員に科学を勉強させるのです。とりあえず全員に勉強させておけば、私のように興味をもって理系に進む人もいるし、先ほどの友人のように、その知識が必要だと後から気付く人もいます。
小売産業やサービス産業は消費者からとても目につきやすい産業なので、言い方は悪いですが、放っておいてもそこで働きたい人は出てきます。
「ものづくり」と呼ばれれる産業は普段の生活では目に見えないものが多いので、その方面を志す人も少なくなりがちです。それではとても困るのです。国が困るし、その国で生活する人も困るのです。だから、そういう産業に進むきっかけとして科学を勉強するという意味も、とても強いと思います。
数学や理科を勉強する理由は、
・理系に進むかもしれない人の科学を勉強する機会を消さない。
・学生の理系に進む可能性を少しでも残して理系産業を守る。
という考えです。
一般的に言われる「論理・数理的思考力を養う」というのも重要な理由の一つです。
個別指導塾サクシード塾長
「具体と抽象」とは何か?
「具体」とは、一言で言えば「眼前にある一つ一つのこと全て」です。対して「抽象」とは、目にうつる実体とは一見乖離した、自由度の高い概念です。人間は、複数の具体的なことがらを一般化することで「法則」や「理論」という抽象的なツールを作ったり、「リンゴ」や「ミカン」といった具体的なモノをひっくるめて「果物」という抽象的な上位概念を生み出すことができます。
「一を聞いて十を知る」とは何か?
具体的に「一」を聞いたときにどうやって「十」を知ることができるんでしょうか。抽象化の為せる技です。ある「一」を聞いた時、普通はそれを具体的な「一」の事柄として考えます。「十」を知る人は、そこから「パターン」や「構造」といった抽象的な内容を理解します。
抽象とは具体の寄せ集めであり、これを元に「十」が分かってしまうのです。
数学においては、『数』とは『実数(有理数+無理数)』と『虚数i⇒√-1(2乗して負になる数)』の集まりです。
ニュートンのリンゴの逸話がすごいのは、リンゴが木から落ちるのを見て、リンゴ=小さい物体、地球=大きい物体という抽象で捉え直した上で、『重力って、「全ての物体同士には引力が働く」「物体がでかいほどその力もでかい」という法則が目に見えているのではないか?』と思えたことなのではないでしょうか。
現実世界において、「一」を聞いただけで「十」を知ることができる人はそういないですし、安易に「十」を知った気になることには危険が伴います。個人的には「二」か「三」を聞いた上で、安定的に「五」を知ることができるようになりたいです。
個別指導塾サクシード塾長
徹底的に基礎固めをする(負けパターンに陥らず!)
理系難関コースは、難問を解かなければ…ハイレベルのコースにいかなければ、と強い思い込みがあると思います。
難しい問題ばかり解いたり、問題集をいろいろ手を付けて、失敗するというケースが、負けパターンです。オーソドックスな問題は必ず出てきます。
受験の配点について。問題を【難】、【やや難】、【標準】、【易】に分けます。
【難】
捨て問、奇問。
大学側が受験生を落とすために作っている問題。満点を取らせないために作っている問題なので、必要性がない問題です。それに手を出すと、ドツボにはまって、負けパターンに入ります。
制限時間内で解けないといけないとか、完答できる必要性は無い。
【やや難】
【易】と【標準】の問題を組み合わせて作られています。どの組み合わせでできているのか。自分のバイブル本の問題で、自分の知っている考え方や問題をどう使ったら解けるのかを試行錯誤します。ここが1番差がつくところです。
できる受験生は余裕で合格最低点に至ります。
【やや難】は、部分点がとれたり、完答が取れるという状態を作ります。合格するか否かの最大の鍵を握るところです。
【標準】
標準問題集を完璧にこなしてください。
【易】
易は、白チャートの問題を完璧にやれば、基礎づくりができてきます。
配点の割合は、【難】が20%、【やや難】が30%、【標準】が30%、【易】が20%というくらいです。変な難問を解く必要性は全くありません。基本問題集ができれば、合格できるということがわかります。高校受験にも当てはまります。
サクシード塾長は、常々、「100点は要らない。95点を目指せ!。くれる問題(易)でミスするな。大問(3)は捨ててかかれ。ただし(1)(2)は簡単に解ける。いただく問題だ」と伝えています。
「数学」〓「代数」と「幾何」
算数から数学になり、中高一貫校や私立では、「代数」と「幾何」にわかれて学習します。公立中学と内容は差程変わらないのですが、徹底的に違うのは同じ問題でも解法が違います。『公立で習うこと』+『高校数学の内容(数ⅠA)』の一部を中学の範囲として学習します。
公立では相似だけで解くのに対して、「方べきの定理」や「メネラウス、チェバの定理」を使って解くという感じです。将来の大学受験や有名私立高校を受験するために学習する内容だと考えて間違いないです。
「代数」はⅠ学期で「正負の数」「文字式」「1次方程式」ここまではやります。中2年の2学期までには中学の過程は終了します。中2年の3学期からが高校の範囲を学習することになります。中3終了時には数ⅡBの半分程度終わっているとお考え下さい。「幾何」は中2の3学期でだいたい終了することが多く、その後高校の範囲をやります。
はっきり言いますが、一旦落ちこぼれると取り返すのは大変です。数学の得意な子はやる気が継続すれば上位まで成績を取り戻すことは可能ですが、苦手な子はかなり厳しいことになります。
田舎から市内進学高校へ来た生徒には、ぐんと伸びる要素がみられます。自在な思考力と、水を吸収する海綿のような柔軟さです。
自然体験が成長を促す!感受性や自主性、想像力を育みます。小学生時代は指導要領の内容がきちんと身につけばよいじゃないですか。自然の中での遊びを通して、のびのびと体力をつけ感性を磨いてください。
人の一生の中で、一番大事にしたい時期を「お受験」で締め上げて窮屈な生活にはして欲しくないと思います。都会のカリスマ家庭教師は、「高層マンションの上階に住む子どもは才能が開花しづらい傾向にある」と言います。
風も吹かない。窓も開かない。鳥のさえずりも聞こえない。五感への刺激の積み重ねの重要性が問われています。
個別指導塾サクシードのモットー【勉強も出来て、自然を愛する人間に!♪】
『先取り学習』は「諸刃の剣」№3
さて、大手塾が『先取り学習してくれる』と喜ぶ保護者が見られるが、大きな勘違いであろう。「先取り」をエサにする大手塾を、用心すべきである。
東大に進むほんの一部の生徒の中には、講義を聞いただけで理解できる、生まれつき優れた能力をもっている。「そもそもの才能」の問題である。「差別」やら「平等」という話ではなく、厳然とした事実である。「区別」なのだ。また、普段からの「たゆみ無い努力」の積み重ねなのだ。
大半の生徒は、今学ぶべき内容を徹底的に仕上げるべきだと考える。小学生に要求するやっかいな「特殊算」も同じである。算数数学に対する嫌悪感を植え付けてしまいかねない。東大生でも、お受験を経験してきた学生ほど、数学を苦手とするそうである。
だれが、「ニュートン算、流水算、差集め算etc.」を分からなければ、将来が危ういなどと教えたのか?方程式を使わないで、解くテクニックを考え始めたのは、そもそも塾講師である。大手塾と私立はつながっている。苦しむのは可愛い児童だけ。(保護者も無い知恵絞っているかも(^_^)/)
ぜひしっかりと理解しておくべきなのは、「植木算」くらい。数列で必要になるから。所詮、「トンビがタカを産むことなど無い」のかも。私を含め凡人は、平凡なりに努力を積み重ねていくことが「王道」である。
数学は、特に「砂上の楼閣」になりやすい。セメントで足下をガチガチに固めながら、コツコツと進んでいくものである。足下がスカスカに緩んでいるのでは、ひと波で、建物は脆くも崩れ去ってしまう。「先取り学習」を喜ぶなど、愚かの極みだ。
今現在、学ぶべき内容を定着もさせず、応用も効かなくなるのだから。
国立大学・理学部:数学科卒: 個別指導塾サクシードの塾長が太鼓判を押します。
【学問に王道無し】