「なぜ学校で数学・理科を勉強するのか」№3
「では、そういう人は科学を勉強する必要がないのではないか」と考えるのが普通だと思います。しかし正確には「結果的に科学を勉強する必要がなかった」と言うべきです。この点が非常に重要です。つまり「勉強する必要がない」ことと、「勉強する必要がなかった」ことの違いです。
ここで考えたいのが、高校のときに自分の人生について完全な見通しがあるという人がどれくらいいるのかということです。あまりいないのではないか、と私は思っています。
卑近な例ですが、とても自動車が好きな友人がいます。その友人は科学が基本的に苦手なのですが、大学選びのときに自動車を学ぶのには科学の知識が必要だということを知り、高校の後半から数学・物理を勉強して、理系の学科に入学したそうです。
その友人が中学・高校で科学を教えられていなかったらどうなっていたか、ということですが、科学への非凡な適正と相当以上の勉強量が無ければ、理系学科の受験は諦めることになっていたでしょう。その友人は大学受験のことを考えるまで、ろくに科学を勉強していなかったそうです。
彼は結果的に「科学の勉強が必要だった」ということになりますが、中学や高校の段階で、科学の勉強が必要かどうかをどうやったら判断できるのでしょうか。中学・高校で科学を勉強していなくて、彼のように急にその勉強が必要になったとしたら、それから勉強を頑張っても、ほとんどの場合、現代社会の技術に求められるだけの知識を身に付けるのは困難でしょう。
科学に限らず、基礎学力をつけるのはとても時間が掛かることです。必要だと気付いてから勉強しても遅いのです。将来がどうなるか分からないから、とりあえず勉強しておかなければならないのです。
次回④に続く